レンマ学 中沢新一
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2022/01/18(講談社)
ブッダは人生苦のおおもとを老死の中に見た。老死は生物としての自然な過程をあらわしているが、これが人間には苦を与える。なぜ老死があるかと言えば、生につながって(縁)生起する現象であるからだが、生は有に縁起していることによって、有=存在世界の中に一定の身分を得ることになる。有の世界に置かれた生は、そこで自分の内部に外のものを取り入れる(取)ことに執着する。つまり有は取につながって縁起しているのである。この取の基底をなしているのは愛を求める渇愛である。そして渇愛には憎悪・怨恨・憤怒などのネガティブな欲念が伴う。まさに愛こそが人間苦の根底をなし、取と一体になって強力に人間に感情生活を駆動している。(p37-38)
p36ー39が難解で未解題
どんなものにもそれ自体の自性(=自己同一性を支える性質)はなく、ほんらい空である。(p42) 難解すぎるのでリタイヤ
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上部旧石器時代に、人類の脳組織が現在の我々のものと同じ「ホモサピエンス」としての構造をもつにいたったとき、人類はアナロジー(喩)を組み込んだ言語と、絵画的表現能力と、音階の構造をもつ音楽をおこなう能力を獲得した。いわば、ホモサピエンスは芸術をおこなう能力とともに出現したと言える。 アナロジーは異なる意味領域の重ね合わせによってなりたつ。それ以前の人類は単語を統辞法にしたがって並べる「ロゴス的」な言語を使用していたのにたいして、アナロジー的な言語は詩的表現をおこなう能力を、ホモサピエンスにもたらした。詩的表現では単語と単語は喩によって結び合い、音の響き合いによって部分と全体が共鳴現象を起こす。このような構造をもつアナロジー言語をホモサピエンスは使用しだした。このことは、人類の言語の基底には詩的、音楽的な本質が埋め込まれていることをしめしている。「音楽的言語」をしゃべることによって、ホモサピエンスは生まれたわけである。
ヨーロッパ考古学の例がしめすように、ホモサピエンスは洞窟の中で儀礼をおこなった。広い、真っ暗な空間の中で、岩の壁面に絵を描き、合唱をおこなったことが推測されている。洞窟内部での音楽的発声は、自然倍音の現象を起こす。この倍音相互の間に、アナロジー能力をもつ知性は「同一性」を発見できるようになっている。基音のDoと一オクターブ高い倍音のDoが、「同じ音」であることを発見するのだ。すると基音から四度離れた音、五度離れた音が認識され、自然なかたちの五度音階が生まれる。ここから鳥たちのおこなう音楽と異なる、ホモサピエンスの音楽に特有の「音階」が生まれる。アナロジー構造を備えた言語の能力からは、音楽が自然なかたちで発生できる。
それと同時に、驚くべき完成度の高さをもった絵画表現が可能になっている。走るバイソンの姿などを描いた絵画には、対象を直感的かつ全体的に把握する知的能力がしめされている。直感的にとらえた対象の全体を、岩の壁面のような「平面上」に射影して、一方向から見られた動物の姿を描写できる。また逆に射影された部分的な情報から、想像力の中で全体像が再現できるようになっている。
ホモサピエンスは芸術的能力をもって出現した。その脳においては、線形的な「ロゴス」的能力と、全体的な把握をおこなう「レンマ」的能力が組み合わされた複論理(バイロジック)が作動している。この事実は近代(現代)人のおこなう芸術活動の本質をも決めている。未来における科学と芸術の関係は、この事実を抜きにして語ることはできない。